映画感想「荒野の用心棒」
1964年のマカロニ・ウエスタン映画。イタリア、西ドイツ、スペイン合作。
町にやってきた「名無し」のガンマンが、町の覇権をかけて争う二つの勢力を手玉に取り、同士討ちを狙う。
セルジオ・レオーネ監督作品であり、世界中でマカロニ・ウエスタンブームを巻き起こし、主演のクリント・イーストウッドを世界的スターにした。
冒頭、口笛と繰り返される掛け声が印象的なエンニオ・モリコーネのテーマソングに乗せて、シルエットでのアニメーションが繰り広げられる。曲の上から馬の蹄の音や銃声が鳴り響き、過剰なくらい西部劇だと主張しているあたりがまだ加減がつかめていない感がある。当時はマカロニ・ウエスタンというジャンル自体確立されておらず、レオーネもモリコーネも悪漢ラモン役のジャン・マリア・ヴォロンテも、米国人っぽい名前でクレジットされている。
物語は、サン・ミゲルという町に流れ者のガンマン「名無し」がやってくるところから始まる。
彼が井戸で水を飲んでいると、子供が一人、家から別の家に潜り込み、悪党面の男に追い出される。どうやら、何らかの理由で引き離された母親の元に会いにいこうとしたようだ。
名無しは町に入る。町はバクスターとロホス兄弟という二大勢力が覇権を争っているらしい。外を歩く者は少なく、みんな家の中から町にやってきた名無しを見つめている。酒場も閑古鳥で、儲かるのは棺桶屋のみ。
おまけに名無しはバクスターの手下に絡まれ、拳銃で威嚇射撃され遁走する羽目に。
酒場の店主サラニトは、「どうせ金がないんだろ。ただで食わせてやるから、食ったら町から出ていくんだ。死人が出るのはたくさんだ」というが、名無しの男はこの町が気に入った、と出ていく気はない。
店主の忠告も聞かずに酒場を出た名無しは、ロホス陣営に向かって「俺を雇え。腕は今見せてやる」と言い放つと、さきほど自分に絡んできたバクスター一味のところへ行き、「俺の馬が撃たれた。馬に謝れ」と難癖をつけ、あっという間に相手の四人を撃ち殺してしまう。
こうしてまんまとロホスから高額をせしめ、彼らの用心棒となった名無し。その後もロホスとバクスターの間を行ったり来たりしながら、互いの弱みや策略を密告し、またあるいは自らが仕掛けたでっちあげを語って両陣営を消しかけ、戦わせようとする。
知的な企みを使って暗躍し、悪党がそれに引っ掛かっていく様子は痛快で、さらに状況が二転三転していく様子は見ていて面白い。
……のだが、実はこの筋書き、映画の最初から結末に至る流れまで、世界のクロサワこと黒澤明の「用心棒」ほとんどそのままである。この「荒野の用心棒」(原題:A Fistful of Dollars)は、黒澤「用心棒」を無許可でリメイクした、いわくつきの作品としても有名で、後に訴訟沙汰となった(当然、黒澤側の勝訴)。
ストーリーの美味しい部分、すなわち「主役が悪党双方をどう出し抜いていくか」という方法や、お話的に盛り上がる部分のほとんどが「用心棒」からの借り物で、登場する大半のキャラクターも「用心棒」の登場人物に当てはめることができる。
冒頭で水を飲むシーンに始まり、さらに町の情勢を説明する男、酒場の店主の「一つの町に二人の親分」というセリフ、序盤で片一方の手下を殺し棺桶屋に追加を頼むユーモアまであまりにもそのままだし、黒澤が装置を使って砂塵を巻き上げる風を見事に撮った映像美は、ダイナマイトの爆風という力技で再現されている。ある状況からの脱出シーンなど、ここまで真似るか、と呆れるほどである。
二つの勢力のバックにつく人物(「用心棒」の名主の多左衛門や造酒屋徳右衛門)たちがオミットされていたり、引き離された女と家族のくだりを冒頭に持ってきていたりと一応整理というか改変されている箇所はあるが、大筋はまったくといっていいほど変わらない。
設定が違うのに無理矢理同じ話をやろうとしているのだから当然かもしれないが、シーンの要所要所の見せ方は、洗練された「用心棒」の丁寧さに比べるとだいぶ大味。まあ、黒澤映画のリメイクなんて今考えれば無謀もいいところである。
では見る価値のない劣化コピーなのかというと、決してそんなこともない。
お話の面白さはノーカンだとしても、表現であったり細かいニュアンスだったりといった部分で「用心棒」とは別の魅力がある。
レオーネ独特の顔の大映しカットはこの頃から出来上がっているし、特にクリント・イーストウッド演じる名無しを、明らかに善性を漂わせた桑畑三十郎そのままのキャラクターとして描かず、口数が少なく、加えて金のことしか頭にないダークヒーローにしたのは正解だったと思う。だからこそ時折見せる善行がより際立つのだ。
ほかにも、冒頭で子供を追い払うときに、悪漢がその足元を拳銃で撃ちまくる(俗にいう「踊れ踊れ!」のシーン)ような攻めた表現もしており、他にも機関銃で派手に人が死んでいったりリンチがあったりなどバイオレンス。「用心棒」の刀よりもみんな気軽に銃を使う。
コミカルなシーンのいくつかがなくなっていたのは残念であるが、映画のバイオレンスさに合わないと判断したのか、もしくは悪党を憎めない相手にしたくなかったのかもしれない。
ロホス兄弟の弟ラモンとの決闘のアイデアはオリジナル。その突破方法はちょっとご都合的だなあと感じてしまう部分は否めないが、最後にしっかり真剣勝負を用意しているあたりが心憎い。
そうした模倣元からの変更点が新たなジャンルを形作り、金字塔的作品になったのだから不思議なものである。
そもそも日本の時代劇とアメリカの西部劇をイタリア人がミックス、という無国籍感溢れる組み合わせが面白いし、マカロニ・ウエスタンの根底に日本の時代劇があると思うと、親近感が湧いてこないだろうか。
というわけでマカロニ・ウエスタンの記念碑的作品としておすすめなのだが、個人的には、黒澤「用心棒」もぜひ観てほしい。
風や雨といった自然描写の美しさや、三十郎の暗躍がばれるシーンの、言葉の外で繰り広げられる緊張感溢れる攻防、そしてレオーネがオミットしたコミカルな演出(三十郎が包丁を手にして言う一言がもう最高)など、一本の映画の中にこれだけ濃密で緻密なものが詰まっているのかと驚くはず。双方を見比べてみるのも面白い。
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