映画感想「夕陽のギャングたち」
1971年製作のマカロニ・ウエスタン。イタリア・アメリカ・スペイン合作。20世紀初頭のメキシコ革命を舞台としている。マカロニ・ウエスタンの巨匠セルジオ・レオーネ監督作品、主演ロッド・スタイガー、ジェームズ・コバーン。音楽はもちろんエンニオ・モリコーネ。以前ソフト版を買おうとマケプレで頼んだら注文後に品切れといわれそのまま観る機会がなかった作品。Amazon Prime Videoで配信されていたので視聴。英題は「Duck, You Sucker」で、レオーネらしい2時間30分超えの長尺作品。
ストーリー
1913年頃のメキシコ。荒野のど真ん中で立ち往生していたフアンは、通りがかった馬車に乗せてくれるよう請う。彼を貧乏農民だと判断した御者は「中の客の反応が楽しみだ」と意地悪く笑いそれを了承。その馬車はいわゆる上流階級の人々の馬車だった。みすぼらしい姿のフアンは馬車の中で椅子に座ることも許されず、彼らからさんざんからかわれコケにされるのだが、そのとき強盗団が馬車を襲撃した。御者は射殺され、馬車の中に一斉に銃口が向けられる。実は強盗たちはフアンの父親や息子たち。フアンはその強盗団の頭目だったのだ。
無知だのケダモノだのと罵った彼らから文字通り身ぐるみを剥がし、馬車を乗っ取って置き去りにしたフアン。ところが突如目の前で渓谷が轟音を立てて崩れ落ち、煙の中からオートバイに乗った一人の男が現れた。フアンはそのオートバイを銃撃し故障させる。オートバイから降りた男を銃で脅しつけるも、男は怯むどころか不敵に笑う。彼は懐から取り出した瓶から液体を1滴地面に垂らし、それが爆発するのをフアンに見せつける。男はIRA(アイルランド解放戦線)の人間として指名手配されていたジョン・マロリー。彼のその魔法のような爆薬を見たフアンは天啓を得る。「メサ・ベルデ国立銀行」と……というのが冒頭。
感想
本作はセルジオ・レオーネ作品の「ウエスタン(英題:Once Upon a Time in the West)」の後に製作された作品で、その13年後に製作される「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」とあわせて「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」と呼ばれているそう(各作品に物語的な繋がりはない)。「ウエスタン」は個人的にも指折りで好きなマカロニ・ウエスタン作品。「ワンス~アメリカ」は1920年代のアメリカから始まる主人公ヌードルスとマックスら幼馴染たちの幼少から青春、晩年までを追った壮大な叙事詩。人物の内面にフォーカスする傾向は「ウエスタン」の頃から見られたが、本作「夕陽のギャングたち」は「ワンス~アメリカ」までのちょうど間を埋めるような作品で、マカロニ・ウエスタン題材の一つであるメキシコ革命を舞台にした要素と、主人公フアンと、ジョン・マロリーの友情、特にジョンに至ってはそこに至るまでの過去も描いている。
映画が始まると、いきなりフアンが蟻の巣に向かって立ち小便をするというなかなかな場面から始まる本作。毎回印象的な冒頭を作るレオーネだが、今回もガツンと食らわしてくる。フアンが荒野を移動する馬車に乗せてもらうのだが、その交渉中の御者の振る舞いといい、馬車内にいるいかにも金持ちそうな連中といい、徹底してフアンを対等な人間としてみなさない。金持ちたちは政治状況について会話をしながら、自分たちとは関わりのない農民や貧民(つまりフアン)を珍獣かもしくは取るに足らない下賤の存在だとして馬鹿にする。それをじっと耐え、ときに質問に対して身振り手振りで応えるフアン。ややかしこまった態度は、初見で彼の素性を知らなければ本当に農民のように見える。ここで執拗にフォーカスされるのは、フアンを嘲笑しながら食事をする金持ちたちが、食べ物を口に入れ咀嚼する不快な音である。その様子は食べ物を「味わう」のではなく「貪る」といった表現が似つかわしく、彼らが貧乏人や身分の低い人々を食い物にしてきたことが伝わってくる。このあとフアンの一味が馬車を襲撃し立場が逆転するという展開は、まさに革命の縮図といえるだろう。そしてフアンもまた決して善良な人間ではなく、見るからに野卑で根っからの略奪者だ。「子供はすべて異母兄弟」と豪語し、つまりそれまで何をしてきたかを暗に物語っている。このどちらも善といい難い感じが、レオーネ式西部劇という感じがして大変良い。
そして本作ならではの特徴であるメキシコ革命ものという点。今まで他のマカロニ・ウエスタンを観てきた中でも、いくつもメキシコ革命を舞台とした作品はあったが、大げさにいうと本作でその舞台設定の「旨味の真髄」を見た気がする。それがもう一人の主人公、ジョンの登場シーン。マカロニ・ウエスタン作品だと思ってみると、彼の出で立ちにド肝を抜かれる。爆破で崩れかかった渓谷の土煙から出てきた彼は、馬ではなくオートバイにまたがり、いわゆるウエスタンハットではなくバイク用ゴーグルに口をスカーフで覆っているのだ。
一見してその登場人物とは思えない風体はまるで未来人のようである。だが白コートに整った髭のジョンと汚い髭面のメキシコ男フアンが同じ画面に立つと、違和感は拭えないがそれでも不思議と「マカロニ・ウエスタン」だと認識できるのだ。セルジオ・レオーネは前作「ウエスタン」で、ヒロインの持つ土地に鉄道が敷かれアメリカが開拓されていく「西部の終焉」を描いた。それは現代的な秩序が浸透していくのとほぼ同義であり、それまで跋扈していた無法者や賞金稼ぎたちの存在を許さない世界である。19世紀末で終わったはずの「銃と暴力の混沌」を受け継いだのが、20世紀初頭の革命の動乱渦巻くメキシコというわけである。ただそのまま受け継いだのではなく、時代の経過とともにガジェットも進化している。つまりメキシコ革命時代は単に場所と情勢だけの話ではなく19世紀アメリカで終わった「西部」がさらに生きながらえた「第二の西部」もしくは「未来の西部」でもあり、ある意味でレトロフューチャーな世界なのだ。だから年季の入ったリボルバーとオートバイが最先端のガジェットとして共存しうるのは何ら不思議なことではないのである。本作はその「妙」が存分に発揮されていると感じた。
そして、やはりフアンとジョンの友情ものという点も見逃せない。フアンもジョンも同じヨハネに由来する名前、いわば同名であるというところに運命を感じたフアンは、最初「『フアン&ジョン』でコンビを組んで銀行強盗しようぜ!」とジョンを誘う。しかし元IRA(アイルランド解放戦線)のジョンは、フアンを革命のかの字もわからない欲にまみれた強盗と見なして相手にしない。ニヒルで冷たいジョンの態度にフアンが怒ったりへりくだったりと感情をころころ変えるのが見所ではあるのだけど、物語が進むうちにジョンの心境に変化が訪れる。終盤に差し掛かった時点で、今度はジョンの口から「フアン&ジョン」のセリフが出るシーンなどは痺れた(ジョンの吹き替え担当が小林清志なのがまた渋い)。また、物語の中でジョンの過去の回想が挟み込まれるのだけど、セリフが一切存在しないのに何が起こったのかが紐解かれる過程も見事。ここはモリコーネの音楽力が存分に発揮されている。本作はもちろんモリコーネの楽曲も申し分なく、全編を通して流れる「しょん、しょん、しょん……」という不思議な歌詞かつ雄大なテーマ曲がとくに印象的。ちなみにこれはWikipediaによるとショーン(主にアイルランド・スコットランド発音。由来はフアン、ジョンと同じ)とのこと。ジョンはフアンから名前を聞かれた時、最初「ショーン……」と小さく答えていることからも推測できる。
まとめ
というわけで、重厚感とヴィジュアルの新鮮さ、さらにむさ苦しい髭面男同士の哀愁漂うブロマンスとてんこ盛りのメキシコ革命ものマカロニ・ウエスタン。ヒーロー的立ち位置の主人公がいない分、ガンアクションなどで魅せるものとは違うが、爆弾に取り憑かれたという設定のジョンがいるだけあって劇中の爆破シーンなどは大迫力。流石レオーネ、といった傑作。
Amazon Prime Video
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0BSLKH9X2
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