映画感想「夕陽のガンマン」

1965年のマカロニ・ウエスタン。セルジオ・レオーネ監督作品。
「荒野の用心棒」に続く、イーストウッド演じる「名無し」のガンマンが活躍する二作目。「荒野の~」とこの作品、そして次作「続・夕陽のガンマン/地獄の決斗」を含め「ドル箱三部作」と呼ばれる。
クリント・イーストウッドが名無しの男としてすべての作品で主役をつとめること、またどの作品でも金を巡っての話であることが共通する。今作では、新顔の賞金稼ぎモンコをイーストウッド、もう一人のベテラン賞金稼ぎモーティマーをリー・ヴァン・クリーフが演じる。音楽は先日亡くなったエンニオ・モリコーネ。

今作での名無しは「モンコ」と呼ばれる。これは通り名のようなもので、本来は"手なし"や"片腕"という意味のスペイン語。彼が片腕で何かをするとき、もう片方の手がポンチョで隠れている(ことが多い)からだと思われる。
前作「荒野の用心棒」は世界中でヒットしたものの、ストーリー、登場人物の役回りなど黒澤明の「用心棒」の無許可リメイクであり、後々問題となった。
今回はそういったことなくオリジナルな作品となっているが、基本的には「荒野の用心棒」でウケた要素を継続して持ち込んでいるように感じた。「策略を巡らせる」ことと「同じヒーロー像」。桑畑三十郎が椿三十郎になったように、イーストウッド演じる名無しもほぼ同一人格の賞金稼ぎである。さらに今作はもうひとりの主役が登場する。それがリー・ヴァン・クリーフ演じる、ダグラス・モーティマーである。

リー・ヴァン・クリーフはイーストウッドと同じく、アメリカ西部劇の出演経験を持つ俳優。イーストウッド以上に俳優としてのキャリアが落ち目の頃にレオーネから依頼を受け、出演した。イーストウッドはこの次に作られる「続・夕陽のガンマン/地獄の決斗」以降マカロニ・ウエスタンに出演しなくなったが、リー・ヴァン・クリーフはそれ以降もブームが衰退するまでマカロニ映画に出続けている。

この作品はマカロニスターのリー・ヴァン・クリーフ誕生の映画であり、本人にとっては俳優人生において起死回生の作品といえる。前作でウケた「名無し」のキャラクターと双璧をなすヒーローというのはかなり重荷だが、ポンチョ姿のニヒルなイーストウッドと対照的な、黒のケープつきコートの下にネクタイとウェストコートできめた寡黙で都会的なガンマンを演じ、存在感を放っている。身長193cmのイーストウッドと並んでも、背丈、貫禄ともに全く引けを取らない(リー・ヴァン・クリーフは188cm)。

「夕陽のガンマン」より、ライフルを排莢するモーティマー。
本人もさることながら、服装がかっこいい。

前作的な言い回しでいうと「一つの映画に二人のヒーロー」状態なのだが、まさしくそのルールに則るように、この映画は二人の賞金稼ぎが、脱獄した凶悪犯エル・インディオの首を争う話になっている。
冒頭、モーティマーは汽車の座席に座り、顔を隠すようにして聖書を読んでいる。黒いコートの彼を見た向かいの座席の男が神父と勘違いして声をかけるのだが、無言で本を取ったモーティマーの目つきに言葉を失う。明らかに神父とは思えない鋭さで、やばい奴だというのが画でわかる。映画としてもモーティマーがスクリーンに初めてまともに顔を出す、非常にいいシーンである。
一方のモンコも、酒場で賞金首がポーカーに興じているところへ単身乗り込んでいく。ゲームの途中に賞金首のそばに立ち、名前通りポンチョから片手だけを出してカードを手に取り、ゲームを乗っ取る。無言だがニヒルな笑みを浮かべる様子はまさに大胆不敵といった様子で、こちらも只者でないことがバシバシ伝わってくる。
どちらも凄腕かつ唯我独尊な感じを説明しておいてから、二人が同じ賞金首を狙っていることを見せ、やがて来る二人の衝突を予感させる。この二人の対峙シーンはまさしく銃の腕とプライドの張り合いで、見応え抜群。
この対決の後、二人は互いの腕を認め、協力してエル・インディオを追うことになるのだが、お互い気を許していないことは一目瞭然で、共通の目的のために策を考え実行しつつも、その中で互いを出し抜こうとし、またそれを看破する。性質が違いつつ、どちらもどっしり構えた感じがたまらない。

「夕陽のガンマン」より、モーティマーと、モーティマーのストックつきリボルバーを珍しげに見るモンコ。
モンコは早撃ち、モーティマーは長射程からの射撃と、強みが分かれているのもいい。

この二人を追うだけでも面白いが、敵側のエル・インディオもまた興味深い。演じるのは「荒野の用心棒」でイーストウッドのライバルとなったラモン役のジャン・マリア・ヴォロンテ。「荒野の~」でのラモンは、基本的に名無しに騙され翻弄される役だったが、今回の悪役エル・インディオは用心深く、そうそう策に引っかからない。それだけでなく、逆に名無したちの裏を掻く切れ者である。
くわえて女子供にも容赦がない残虐っぷりであるが、それ以上に彼を特徴づけるのが、彼のキャラクターに似つかわしくないオルゴールつきの懐中時計である。若い女性の写真が貼られたそれをエル・インディオは大事にしており、そのオルゴールを鳴らし「音が止まったら(銃を)抜け」と決闘の際の小道具として使う。この時計にまつわるエピソードが、極悪人エル・インディオの心の脆さのようなものを演出し、深みを与えている。
特に物悲しく耳に残るオルゴールの音色に、荘厳なパイプオルガンや叙情的な決闘のテーマなどが重なり、ともににらみ合う二人の無言のどアップが続くシーンはレオーネのお家芸といったところだが、それが映えるのはモリコーネの音楽あってだろう。
この演出はクライマックスでも使われるが、一度見せた流れにさらにもうひと工夫が足された最後の決闘は、アイデア・演技・演出・音楽と文句の付け所がない(特にモンコの「はじめようか」というセリフの直後に盛り上がる音楽とカット!)。この決闘のあとに交わされる短いやり取りも、二人の人間っぽさをうかがわせる名シーン。言葉の少なさがとてもよい余韻を生んでいる。

主役二人と悪役のキャラの立ち具合、撃ち合いに込められたアイデア、それを彩る印象的な音楽と、マカロニの美味しいところが凝縮された一作。特にモリコーネの音楽が素晴らしい。生涯を通して名曲ばかりなのでどれが一番と順位付けするのは難しいが、物語に音が絡んだこの作品は間違いなく耳に残ると思う。

画像:©1965 Alberto Grimaldi Productions S.A.