映画感想「メメント」
2000年の映画。クリストファー・ノーラン監督作品。ガイ・ピアース主演。
物語は、主人公レナードがポラロイド写真を振るところから始まる。写真には死体が写っているのだが、時間が経つにつれてそれが徐々に薄くなっていく。そして、写真をポラロイドカメラに差し込むレナード。目の前には血を流しうつ伏せに倒れた男。床に転がる空薬莢、拳銃と眼鏡。次の瞬間、拳銃はレナードの手に戻り、眼鏡は同時にくるりと振り向いた男の耳にかかる。構えた拳銃に空薬莢が吸い込まれ、男が悲鳴を上げる。
「メメント」の主人公レナードは保険の調査員。あるとき自分の奥さんが家に押し入った人物に襲われ、殺害されてしまう。家に居合わせた彼も、そのときに受けた傷が原因で新しい物事を覚えることができなくなるという前向性健忘になってしまう。彼が記憶を保っていられるのは10分間。10分経つと、事件で傷を受けた段階からの記憶がすべて消えてしまうようだ。
彼を突き動かすのは、妻を殺した相手への復讐である。犯人の顔はわからない。だが傷を受ける直前に誓ったその目的を達成するため、上記のようなハンデを負いながらも犯人を追う。ポラロイドカメラで写真を撮り、ひたすらメモを取り、重要なことは体に入れ墨を入れる。2000年ならネットなり携帯なりなんか他によい方法があるだろうという気もするが、そこは重要ではないのだろう。劇中でも、時代がいつであるかは触れられていなかったように思う(車の車種などである程度わかるかもしれないが)。
この映画は、ノーランのかなり初期の作品なのだが、最新作「TENET」に通ずる部分や、他の作品にあるノーランらしさの両方のエッセンスが垣間見える。
まず、冒頭の演出などはまさしく「TENET」の逆行表現そのものである。銃弾が銃に戻っていく映像の奇妙さ面白さに、この頃から気づいていたということだろう。「メメント」は見るからに低予算だが、そのときにやった映像表現を超大作「TENET」でまたできるというのは格別なものがあるかもしれない。
また、情報の配置にも共通点がある。映画を追っていけばすぐにわかるが、「メメント」はビデオテープを巻き戻して見たいシーンを再生するがごとく、時系列がどんどんさかのぼっていくように作られている。
映画を提示されるままに追っていく我々からすれば結果から先に見ていることになり、劇中のレナードも記憶がリセットされた状態で目にするものは、自分は覚えていないがすでに起こったこと、事実であり結果である。そして、「TENET」も同様、劇中で逆行した人や物を最初に目にしたとき、その状態は起こったこと、即ち「結果」なのである。映画評論家の町山智浩氏によると、ノーランは漫画や小説を結末から読むという読み方をするらしい。どうしてそうなったのかを考えると、すべてがミステリーになるから、とのこと。
「メメント」も「TENET」も、映像でその楽しさを表現しているというわけである。
そして、後のノーラン映画に見られる人の邪悪さも垣間見える。「メメント」に登場する人物はそう多くないが、彼ら彼女らはレナードの症状を知り、味方のふりをして彼を利用、あるいは貶める。彼が騙されたと気づいても、10分後にはすべてを忘れているからである(特にある人物の、バーでの行為といったらひどい)。
純然たる悪役ではない一個人の感情に、他人の生殺与奪が握られているという居心地の悪さは、「インターステラー」のあの博士や「ダンケルク」のあの兵士に引き継がれていく。この要素はノーラン映画の特徴の一つではないかと思っている。今作の結末で明らかになる真相も、映画の始まりからそれがずっと続いていたという救いがなさがある。
というわけで、ノーラン初期作でありながらテーマなどは近作に共通する。難解といわれているようだが、時間の流れ方に規則性があるぶん「TENET」より全然把握しやすいと思う。
画像:© I Remember Production
メメント(Prime Video)
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00FIWMXSC/
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません