映画感想「真昼の用心棒」
1966年公開のマカロニ・ウエスタン。主人公トム・コーベット役は「続・荒野の用心棒」で主役ジャンゴを演じたフランコ・ネロ。その兄ジェフリーにジョージ・ヒルトン。正直あまり知らなかったがマカロニ界では名優なんだそう。
この映画は、冒頭から馬に乗った身なりのよさげな男たちが、檻から放たれ逃げ惑う一人の男に、大量の猟犬を消しかけて食い殺させるというシーンで始まる。直接的なモツ描写はないものの、けしかけた白スーツの男の笑いが、作品の空気を一発で決めてしまう残虐さである。
マカロニブーム全盛期の作品ということで、かなり暗くバイオレンス……というか、冒頭からフルスロットルなのだが、この作品を撮ったルチオ・フルチ監督は後に傑作ゾンビ映画「サンゲリア」を撮り、ホラー/スプラッターの巨匠と呼ばれるようになる人物である。
セルジオ・エンドリゴの朗々と歌い上げる叙情的な主題歌「A Man alone」の後、場面は変わって、主人公トム・コーベットのシーンへ。川で砂金採りの仕事をしていた彼は、故郷の友人キャラダインから「すぐ故郷に戻れ」とだけ書かれた手紙をもらい、親方に暇をもらって故郷へ戻る。
故郷には、土地を相続した兄ジェフリーと、自分たちを育ててくれた乳母が暮らしている。久しぶりの帰郷と思いきや、帰ると実家だった場所にはごろつきがたむろしており、所有者は兄ではなく農場主スコットになっていた。それどころか、街中至るところをスコットが買い取り、厳しい税を取り立て、彼の一味(特にスコットの息子のジュニアとその手下)が好き勝手に暴れまわる地獄になっていたのだ。冒頭で猟犬をけしかけていたのもこのジュニアたちである。
どうにか兄を見つけ出すが彼は酒に溺れて自暴自棄になっており、歓迎されるどころか「すぐに町を出ていくんだ」の一点張り。家を奪われた理由も教えてくれない。
兄の家で一晩過ごした次の日、トムはキャラダインの家を訪れるが、肝心の理由を聞き出す直前に何者かの銃撃を受け、キャラダイン本人だけでなく彼の妻や子供までも惨殺されてしまう。
……という、問題は明らかだが細かい事情を明言してくれず、「とりあえず田舎に戻ったが状況がわからず翻弄され続ける」という状態が続くのだ。兄は相変わらず自棄っぱちだが、酒場でスコットの手下相手に喧嘩を吹っかけるぐらいには元気がある。しかし決してトムと仲良くしようとはしない。兄と暮らす乳母は気遣ってこそくれるが、やはり事情については話してくれない。
本作は後にホラー/スプラッターで名を馳せる監督の作品ということを知りながら観ると、散りばめられた残酷・暴力描写も納得がいくのだが、物語の構造というか主人公とあり方までも、それまでのマカロニ映画と異なって見えてならない。
なんというか、マカロニなり西部劇なりのヒーローとは違う、孤独だが強者ゆえのそれとは違う、不安がつきまとっているように感じるのだ。主役のトムが途中までヒーローらしいガンアクションなり行動なりをほぼ見せていないというのもあるだろうが、大きな要因は別にあると思う。実家だった場所は不本意な形で奪われ、完全な味方もおらず、事情も解決の糸口もわからない。根無し草系のヒーローでは出せない、内側から食い荒らされる不穏さや閉塞感は、監督が見せる才能の片鱗なのか、それとも単なるこちらの色眼鏡なのか、どこか恐怖映画の主人公っぽさを禁じ得ないのである。
物語の進展はないのだが、孔子の話を出して金をせびる端役の中国人とのやり取り、そしてお得意のバイオレンス描写など、不思議と見所があり退屈さはそれほど感じない。しかし、埒が明かない状態にしびれを切らしたトムは、とうとうスコットの農場へと乗り込む。
そこでは資産家らしい人間たちが集まって会食パーティを繰り広げていた。このシーン、なかなか他のマカロニ映画にない異様さである。パーティ自体は別段何もおかしいことはないのだが、参加者のスーツ、ドレスなど衣服は全員白で統一され、何かの儀式というか、はたまた別世界に迷い込んだような感覚にさせてくれるのだ。
トムも帽子を脱ぎ、すっかり萎縮した様子でその中を進んでいく。このあとトムはスコットと出会い、その息子であるジュニアにさんざん鞭でしばかれひどい目に遭うのだが、それを見ても周囲の人間はまるで家畜を躾けているのを見るがごとく気にもとめない。ちなみにジュニアは常に白いスーツ姿であり、この世界の狂気を象徴した存在というのがうかがえる。
そしてこの「金持ちが白の衣服」というイメージはクエンティン・タランティーノの「ジャンゴ・繋がれざる者」でがっつりオマージュされており、その中で本作の主役(そして「元」ジャンゴ)であるフランコ・ネロもあっち側の人間として出演している。
というわけで、「ルチオ・フルチのマカロニ・ウエスタン」という、その冠だけで異彩を放つ一作なのだが、中身もただバイオレンス一辺倒でなく、物語や演出も独特のホラー的な不気味さや空気を感じさせる。
もちろん、トムが呼ばれた理由は後半で明かされるし、しっかり銃撃戦も用意されているのだが、特に銃撃戦についてはそれまでと違ったアクロバティックさで、「狩る側(敵)が狩られる側になる」カタルシスはあるものの、個人的には若干取ってつけた感を覚えた。キャラ的においしいところを兄のジェフリーと敵のジュニアに持ってかれている感も拭えないが、上述した雰囲気や、「やられたらやり返す」を地で行く敵の地も涙もない報復など、ヒーロー西部劇とは違う部分で味わいのある作品だと思う。
画像:© 1966 Compass Film SRL -Rome- Itary
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