映画感想「荒野の無頼漢」
1968年のマカロニ・ウエスタン。ジョージ・ヒルトン主演、アンソニー・アスコット(=ジュリアーノ・カルメニオ)監督作品。マカロニブームが下火になり始めた頃の作品で、ブーム初期のダークな雰囲気とは無縁な、奇抜なアイデア、キャラクターをこれでもかと盛り込み娯楽に振り切ったタイプの作品である。
物語の舞台はメキシコ第二帝政時代(1864~1867)頃。反乱勢力のラミレズ将軍らが、銃殺刑のために町中を歩かされるところから始まる。一列に並んだ彼らに兵隊が銃を構えたとき、そこに主人公であるガンマン「ハレルヤ」が登場して(しかしすごい名前だ)彼らを処刑から救う。
ハレルヤは路端で縫い物屋に扮して手回しのミシンを動かしていたのだが、このミシン、なんとそのまま手回しのマシンガンになるというトンデモ兵器。この時代にそれはないだろというほどの連射速度で、国軍勢力をなぎ倒していく。ガンマンの必殺武器を初手で出してくるというのもなかなかすごい話である。
とにかくハレルヤの協力で反乱軍は立て直し、国軍を追い払って町を占拠する。
反乱軍を助けたハレルヤ。しかし彼はメキシコの行く末に興味なし。彼の動機は、国軍がアメリカに売却するため輸送中の「マクシミリアン皇帝の宝石」に関する情報を、このラミレズ将軍が持っているからだった。結果的にハレルヤは将軍から情報を入手し、宝石奪取のために雇われる形になるわけだが、この宝石を巡って様々な人物が争い、騙し合いや出し抜き合いをするのが本作のストーリーである。
その宝石を巡っては、ハレルヤやラミレズ将軍のほか、国軍、冷酷な武器商人、金で転んだ修道士たち、謎のシスター、謎のロシア人と多種多彩。中でもハレルヤと並んで強烈なのが、物語の途中から宝石争奪戦に参加してくる謎のロシア人、アレクセイ・ワシーロビッチだろう。
西部劇にロシア人というだけでなかなか稀有な気もするが、彼はコサック帽をかぶりパラライカ(胴体が三角の、ロシアの弦楽器)を奏でながら登場し、自分は「ロシア帝国の皇太子」だと大仰な態度で語るイロモノっぷり。
その西部劇に似つかわしくない出で立ちと、無表情の真顔に敵は思わず笑ってしまうのだが、次の瞬間、アレクセイは楽器に仕込んだ小型ロケット弾を発射して彼らを爆破し黙らせる。その後もコサックダンスを踊りながら敵数人を蹴り倒したり、胸ポケットに仕込んだ無数のナイフを投げたりと、こいつも無茶苦茶暴れまわる。
ここまでの説明で何となく察していただけたかと思うが、これほど「荒唐無稽」という冠が似合う作品もなかなかないだろう。前述のアレクセイもだが、それ以上にハレルヤの奔放さというか、暴れっぶりが凄いのだ。ケーキのろうそくにダイナマイトを仕込むわ、賊の料理に下剤を混ぜるわ、静かにドンと構えるガンマンとは違って実にコミカル。それに翻弄されあたふたする敵も同じように振る舞う。たまにピンチに見舞われても、まったく動揺せずにスマートに切り抜ける。
西部劇といえばガンマン同士の決闘や銃撃戦のイメージがあるが、本作は何でも銃で解決するのではなく、いかに面白おかしく戦うかという点に重きが置かれている。洗濯屋での乱戦では、アイロン用の焼け石を敵のズボンの中に入れたり、石鹸を口に突っ込まれて殴られた相手が口からシャボン玉を出しながら倒れたりと、やたらと気の利いた(利かせすぎた)演出の目白押し。アイデアの乱れ撃ちである。
そもそも本作は、銃によって倒しても血が出ることがほとんどない。つまり、銃で撃たれてやられるのと、下剤入料理を食べてトイレに駆け込むのは同じ「ノックダウン」として捉えることができるわけである。もはやルーニー・テューンズのようなこの作品を、同じ荒唐無稽とはいえレオーネやコルブッチらの初期ダーク路線の作品と同じ心構えで見るのは不毛だろう。
ストーリーも内容に違わず無茶苦茶というか、本当に宝石の奪い合いに終始しており、盛り上がる場所はあるもののそれはドラマチックというよりも前述のネタの見せ合い的な意味での盛り上がり。銃による生き死にや善悪の戦いではなく、これは誰が最後に宝石を手にするかというレースなのである。
とはいえ、してやったりでうまくやった相手が、最後の最後で出し抜かれるという終わり方はなかなか痛快で気が利いている。というわけで、個性的なキャラクターが織りなす明るいドタバタ西部劇。個人的に好きなシーンは、反乱軍側の神父が十字を切ってから敵を殴るところ。
画像:© 1968 MOVIETIME S.R.L
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